赤い羽根共同募金のおいたち
昔、ヨーロッパのある村で1人の牧師が、道端の樫の木に「与えよ、取れよ」と書いた箱をつるしておきました。生活に困っている人や病人、老人を助けるためのものでした。
これをみた村人の中で、多少とも余裕のある人はその箱の中にいくらかのお金を入れ、困っている人は箱の中から必要なだけお金を引き出して役立てました。
この牧師の精神 ~たすけあいのこころ~ が現在の赤い羽根共同募金運動に受け継がれたといわれています。
わが国の赤い羽根共同募金のはじまり
昭和20年、終戦直後、生活困窮者と戦災孤児の激増など、深刻な社会的・経済的混乱のなかで、国は「生活保護法」(昭和21年10月制定)を中心とした公的扶助政策を推進してきました。一方で、戦前国内に6,700余あった民間社会福祉施設は、戦災によって3,000余に激減し、さらにインフレによる物価の高騰、物資の入手難などによって、復興はおろか施設の維持さえも困難な状況となりました。また、昭和21年、連合軍総司令部(G.H.Q)は、国が行うべき政策を民間の事業体に行わせてはならないことと、民間が行う事業への公金支出を禁止する覚書を国に発しました。当時、「公私分離の原則」と呼ばれたものです。このような状況のなかで、民間社会福祉事業の活動資金を確保するための寄付金募集(共同募金運動)を、全国的に実施しようという気運が公私の間に高まり、この運動を展開するために「社会事業共同募金中央委員会」(現在「中央共同募金会」)が組織されました。併行して、厚生省(現在「厚生労働省」)が提唱した、国民の“たすけあいの心”を喚起する「国民たすけあい運動」の一環として実施するための「共同募金(コミュニティーチェスト)実施要綱」が昭和22年8月に策定され、第1回の共同募金が昭和22年11月25日から12月25日までの1カ月を運動期間として実施されました。
『赤い羽根』の由来

共同募金のシンボルとして親しまれている【赤い羽根】が、共同募金運動のなかで登場したのは、運動開始後2年目の昭和23年からでした。当時、街頭募金の寄付済みの印として何を採用するか検討が行われました。同時期にアメリカでも社会福祉のための募金活動(United Way)が行われ、水鳥の羽根を赤く染めて使っていることにヒントを得て、日本でも鶏の羽根を使うことになりましたが、当時の国民感情としては、赤い印を胸に着けることは突飛すぎると難色を示した方が多かったようです。しかし、当時の社会事業共同募金中央委員会(現在「中央共同募金会」)の総裁・故高松宮様の熱心なお勧めもあって、赤色を採用することになりました。戦後の世相の中で、明るい心の触れ合いを求めようとする人々の感情をとらえたのか、【赤い羽根】は、日本国中の人々の胸に飾られ、製造が間に合わないほどの大反響が得られました。